
「なんとなく疲れた」の正体に近づく|インターオセプションと身体のサイン
まだ一日が終わるには早いのに、なんとなく疲れた。
特別なことをしたわけでもないのに、今日は身体が重い。
仕事を続けることはできる。でも、いつものようには進まない。
そんなとき、私たちはひとことで「疲れた」と表現します。
けれど、その「疲れた」の中には、いったい何があるのでしょう。
少し眠い。お腹が空いている。喉が渇いている。肩や首に力が入っている。呼吸がいつもよりせわしない。
あるいは、本当に何がつらいのか、自分でもよくわからない。
身体の内側では、私たちが言葉にするよりも前から、さまざまな変化が起きています。
そうした身体内部の状態を感じ取る仕組みを考えるときに登場するのが、「インターオセプション(interoception)」という言葉です。
少し難しそうに聞こえますが、扱っているのはとても身近な感覚です。
「なんとなく」としか言えなかった自分の状態を、身体の内側から少し眺めてみましょう。
インターオセプションとは?
私たちは、目で色や形を見て、耳で音を聞き、鼻で香りを感じています。
こうした身体の外側からやってくる情報を感じ取ることは、「エクステロセプション(exteroception)」と呼ばれます。
それに対してインターオセプションは、身体内部から生じる信号を神経系が感知し、統合しながら、身体の状態を捉えていく過程です。
たとえば、心臓の鼓動、呼吸、空腹や満腹、喉の渇き、体温に関わる感覚、胃腸や膀胱から生じる感覚など。
私たちは外の世界を感じながら、同時に自分の身体の内側からも絶えず情報を受け取っています。
ただし、そのすべてを意識しているわけではありません。
心臓は一日中動き続けていますが、私たちは普段、一拍ずつ意識して生活してはいません。呼吸も、意識していない時間のほうがずっと長いでしょう。
身体の内部では多くの調整が続いていて、その一部が「お腹が空いた」「暑い」「息苦しい」「疲れた」といった感覚として意識にのぼってきます。
インターオセプションは、そんな「内側から感じる身体」を考えるための概念です。
「疲れた」の中身は、いつも同じではない
私たちは身体の状態を、かなり大きな言葉でまとめて表現しています。
「疲れた」も、その一つです。
昨日の疲れは強い眠気だったかもしれません。
今日の疲れは、長時間同じ姿勢でいたことによる身体の重さかもしれません。
別の日には、身体そのものより、これ以上考えたり判断したりしたくないような感覚が強いこともあります。
もちろん、疲労はインターオセプションだけで説明できるものではありません。
睡眠、活動量、仕事の負荷、食事、身体の状態、心理的な負担など、さまざまなものが関係します。
それでも興味深いのは、私たちが「疲れた」と感じるとき、その背景には身体内部から届くさまざまな信号も存在しているということです。
そして、その信号をただ機械のセンサーのように受け取っているわけでもありません。
身体から届く情報は、脳や神経系の中で統合され、そのときの状況や経験などとも重なりながら、私たちが感じる「今の自分の状態」につながっていきます。
だからこそ、同じ身体の変化があっても、いつも同じように感じるとは限りません。
身体を感じることは、思っているより複雑なのです。
「身体の声」は、もっと小さな感覚かもしれない

ウェルネスやセルフケアでは、「身体の声を聴きましょう」という表現をよく見かけます。
やさしい言葉ですが、実際に何を聴けばよいのかは少し曖昧です。
身体が言葉で話しかけてくるわけではありません。
インターオセプションという視点から見ると、「身体の声」と呼んでいるものの一部は、もっと小さな身体感覚として考えることができます。
喉の渇き。
お腹の感覚。
胸の鼓動。
呼吸の速さ。
身体の温かさや冷たさ。
こうした感覚は、強くなれば自然と気づきます。
けれど、日常には「少しだけ」という状態もあります。
まだ我慢できる程度の空腹。わずかな喉の渇き。なんとなく落ち着かない身体。
仕事や家事、スマートフォンから入ってくる情報など、外側へ意識を向けるものが多いと、そうした小さな変化はそのまま通り過ぎていくことがあります。
身体のサインは、いつも大きな声でやってくるわけではないのです。
身体の感覚と、感情は離れていない
緊張すると、胸がどきどきする。
不安なとき、お腹のあたりが落ち着かない。
ほっとした瞬間、肩の力が抜ける。
私たちは感情を、頭の中だけで経験しているわけではありません。
インターオセプションの研究では、身体内部から届く信号と、感情や気分、自己の感覚などとの関係も研究されています。
ただし、「この身体感覚なら、この感情」と単純に対応しているわけではありません。
たとえば心拍が速くなっているとします。
怖いからかもしれません。
楽しみで興奮しているのかもしれません。
階段を上った直後だからかもしれません。
身体から届く信号だけでは、その意味は一つに決まりません。
そのとき何が起きているのか、どのような状況にいるのか、これまでどのような経験をしてきたのか。
そうしたものも重なりながら、私たちは自分の状態を経験しています。
だから、身体に何かを感じたとき、すぐに意味を決めなくてもよいのでしょう。
「胸のあたりが少しざわざわしている」
まずは、そこまで。
身体の感覚に気づくことと、その理由をすぐ理解することは、同じではありません。
身体のサインを「正しく読もう」としなくてもいい
インターオセプションについて知ると、「自分は身体の状態をきちんと感じ取れているだろうか」と気になるかもしれません。
けれど、ここでも新しい採点を始める必要はありません。
インターオセプションの研究では、身体内部の信号をどのように測定するのか、何をもって「正確に感じ取れている」と考えるのかについて、現在も議論があります。
たとえば、自分の心拍をどの程度正確に感じ取れるかを見る課題は研究で使われてきましたが、その測定方法や解釈には課題があることも指摘されています。
つまり、インターオセプションは単純に「身体の声を聴ける人」と「聴けない人」を分けるものではありません。
日常でも、身体の感覚を読み違えることはあります。
眠いと思っていたけれど、少し外を歩いたらすっきりした。
お腹が空いたと思って食べ始めたけれど、思ったほど食べられなかった。
疲れていると思っていたけれど、実は長く同じ場所にいて身体を動かしたかった。
そんなことがあっても不思議ではありません。
身体を完璧に読み取ることが目的ではないからです。
「何かを感じている」と気づいたあとで、それが何なのかは少しずつ確かめていけばよいのだと思います。
一日の中に、小さな「チェックイン」を

インターオセプションを知ったからといって、新しいセルフケアを増やす必要はありません。
一日のどこかで、ほんの数秒だけ自分の身体へ意識を向けてみます。
たとえば、午後の飲み物を用意するとき。
いつものようにコーヒーを淹れる前に、「今、身体はどんな感じだろう」と一度だけ確かめてみる。
眠いのかもしれません。
喉が渇いているのかもしれません。
少し席を離れたいのかもしれません。
あるいは、単純にコーヒーが飲みたいだけかもしれません。
何もわからなければ、「よくわからない」でも構いません。
そして、気づいたものを必ず改善する必要もありません。
疲れていると気づいても、その場ですぐ仕事を終えられないこともあります。
まず、自分の身体が今どんな状態なのかを少し感じてみる。
そのあと、できることがあれば選ぶ。
それくらいの柔らかさで十分です。
「なんとなく」を、少しだけ大切にする
「なんとなく疲れた」
その感覚は、とても曖昧です。
けれど、曖昧だからといって、何も起きていないわけではありません。
私たちの身体の内側では、心臓が動き、呼吸が続き、体温やエネルギーの状態など、さまざまな変化が起きています。
インターオセプションという少し難しい言葉が教えてくれるのは、私たちは外の世界だけではなく、自分の内側から届くものも感じながら生きているということです。
だから、「なんとなく」と感じたとき。
すぐに原因を突き止めなくてもいい。
すぐに整えようとしなくてもいい。
ただ、「今の自分には、何かこんな感じがある」と気づいてみる。
言葉にならない感覚も含めて、自分の身体から届いているものを少しだけ大切にする。
それも、自分をいたわる小さな方法の一つなのかもしれません。
参考資料
Nature Reviews Neuroscience「How do you feel? Interoception: the sense of the physiological condition of the body」 https://doi.org/10.1038/nrn894
Trends in Neurosciences「The Emerging Science of Interoception: Sensing, Integrating, Interpreting, and Regulating Signals within the Self」 https://doi.org/10.1016/j.tins.2020.10.007