
予定のない時間をつくる|「何もしない」を取り戻す、小さな休息
少しだけ時間が空いたとき、何をしているでしょうか。
電車を待つ数分。待ち合わせまでの十分。仕事と仕事のあいだにできた、ほんの短い空白。
気づけばスマートフォンを開いて、メッセージを確認したり、SNSを眺めたり、ニュースを読んだりしていることがあります。
もちろん、それが悪いわけではありません。
けれど、いつから私たちは、何もしていない時間をこれほど簡単に埋められるようになったのでしょう。
仕事が終われば動画を見る。移動中には音楽を聴く。休日には予定を入れる。疲れたら、身体を整えるためのセルフケアをする。
休むことさえ、「何かをする時間」になっていることがあります。
そんな毎日の中で、ときどき予定のない時間を、そのまま残してみる。
ぼんやり窓の外を見る。
温かい飲み物を手に持ったまま、何もしない。
次の予定まで五分あるなら、その五分を何かで埋めずに過ごしてみる。
何もしない時間は、役に立たない時間なのでしょうか。
今回は、暮らしの中からいつの間にか少なくなった「余白」について考えてみます。
空白があると、何かをしたくなる
何も予定がない時間ができると、少し落ち着かなくなることがあります。
何か忘れているような気がする。
せっかく時間があるのだから、有効に使ったほうがよいような気がする。
とりあえずスマートフォンを手に取る。
すると、ほんの数分だった空白にも、すぐに情報が入ってきます。
誰かからのメッセージ。新しいニュース。おすすめの動画。知らない誰かの日常。
少し前まで何もなかった時間が、あっという間にたくさんの情報で満たされます。
便利なことでもあります。
待ち時間に必要な連絡を済ませることもできますし、移動しながら好きな音楽を楽しむこともできます。
ただ、空いた時間をいつも何かで埋めていると、「何もしないまま過ごす」という選択肢そのものを忘れてしまうことがあります。
何もしないことが苦手なのではなく、何もしない時間に慣れていないだけなのかもしれません。
休息まで「予定」になっていないだろうか

セルフケアについて知ることは、自分を大切にする方法を増やしてくれます。
朝は光を浴びる。
身体を動かす。
呼吸を整える。
湯船につかる。
眠る前にはスマートフォンから離れる。
どれも、自分に合っていれば心地よい習慣になります。
けれど、ときどき不思議なことが起こります。
自分を休ませるために始めたことが、いつの間にか「今日もやらなければならないこと」になってしまうのです。
朝のルーティンを終える。
運動をする。
瞑想をする。
夜のセルフケアをする。
一つひとつは心身をいたわるためのものでも、それらが予定表の中に並び始めると、休息まで達成するものになってしまうことがあります。
そんなときは、新しいセルフケアを加えるのではなく、何もしない時間を少し残してみてもよいのかもしれません。
短い休憩にも意味がある
仕事や作業の途中にとる、ごく短い休憩は「マイクロブレイク(micro-break)」と呼ばれることがあります。
少し聞き慣れない言葉ですが、特別な休み方ではありません。
作業の手を止めて少し休む。立ち上がる。飲み物を飲む。窓の外を見る。
そんな短い休憩も含まれます。
ある研究では、10分以下のマイクロブレイクについて、それまでに行われた複数の研究をまとめて分析しています。
その結果、短い休憩は、活力を保つことや疲労をやわらげることと関連していました。一方で、仕事のパフォーマンスそのものについては、全体として明確な向上が確認されたわけではありません。
ここは、少し大切なところです。
休憩をとる理由まで、「もっと効率よく働くため」にしなくてもよいのではないでしょうか。
休むことが、必ず成果へつながらなくてもいい。
少し疲れたから手を止める。
それだけでも、休む理由としては十分です。
五分空いたら、五分を残してみる
何もしない時間をつくるために、一日の予定を大きく変える必要はありません。
暮らしの中には、とても小さな空白があります。
お湯が沸くまで。
洗濯機が止まるまで。
待ち合わせの相手が来るまで。
次の仕事を始めるまで。
電車が来るまで。
普段ならすぐにスマートフォンへ手を伸ばすところで、一度だけ、そのままにしてみます。
何もしなくて構いません。
姿勢を正す必要もありません。
呼吸へ集中する必要もありません。
有意義なことを考える必要もありません。
窓の外に人が歩いている。
コーヒーがまだ温かい。
少し眠い。
今日は空が明るい。
そんなことをぼんやり感じながら、次の時間が来るのを待ちます。
五分の空白を、「五分間のセルフケア」に変えないことも大切です。
ただ五分、空いている。
それだけの時間があってもよいのです。
ぼんやりする時間に、答えを求めなくてもいい

何もしないでいると、いろいろなことが頭に浮かぶことがあります。
朝に交わした会話。
明日の予定。
ずっと忘れていたこと。
特に意味のない空想。
反対に、何も思い浮かばないこともあります。
どちらでも構いません。
何もしない時間を、「自分と向き合う時間」にまでしなくてもよいのです。
何か重要なことに気づかなければならないわけでも、心を静かにしなければならないわけでもありません。
むしろ、目的を決めた瞬間に、その時間には新しい役割が生まれます。
考えが浮かんだら、そのまま。
退屈なら、退屈なまま。
何となく落ち着かないなら、「今は何もしないと落ち着かないんだな」と感じるだけでも十分です。
空白の時間にまで、正しい過ごし方をつくらなくてもよいのだと思います。
何もしないことと、休めていることは同じではない
もちろん、何もしなければ必ず休めるというわけではありません。
身体を止めていても、頭の中では仕事のことを考え続けている日もあります。
ぼんやりしているつもりが、不安なことばかり浮かんでしまうこともあるでしょう。
そんなときに、「何も考えてはいけない」と自分を抑えようとすると、かえって疲れてしまいます。
何もしない時間は、心を空っぽにする練習ではありません。
静かになれない日があってもいい。
どうしてもスマートフォンを見たい日もある。
誰かと話したほうが気持ちが楽になる日もあります。
そのときの自分にとって、何が休息になるかはいつも同じとは限りません。
「何もしないほうがよい」と決めるのではなく、何もしないという選択肢も持っておく。
そのくらいの距離感が、暮らしにはちょうどよいのかもしれません。
休日を、すべて有意義にしなくてもいい

休日になると、平日にできなかったことをまとめて片づけたくなることがあります。
買い物へ行く。
部屋を整える。
運動する。
気になっていた場所へ出かける。
読みたかった本を読む。
せっかくの休みだからと予定を重ねていくと、休日にも一日の成果を求めるようになります。
充実した休日は素敵です。
けれど、夕方になって「今日は何もできなかった」と感じたとき、本当に何もしていなかったのでしょうか。
遅く起きた。
ゆっくり朝食を食べた。
ソファでぼんやりした。
少し昼寝をした。
窓から入ってくる風を感じながら過ごした。
何かを達成した一日ではなくても、身体が求めていた時間だった可能性があります。
一日の価値を、できたことの数だけで測らない。
そんな休日があってもよいのではないでしょうか。
余白まで管理しなくていい
ここまで読んで、「では毎日、何もしない時間を何分つくればよいのだろう」と思った方もいるかもしれません。
けれど、時間を決めなくても構いません。
毎日続けなくても大丈夫です。
朝にする必要も、夜にする必要もありません。
「何もしない時間をつくる」という新しい習慣を、予定表へ加える必要もありません。
ただ、空白が現れたときに、すぐ埋めなくてもよいことを思い出してみる。
それだけです。
五分空いた。
今日は、その五分を残してみよう。
窓の外を見てもいい。
目を閉じてもいい。
何となく座っていてもいい。
そして、何かしたくなったら、また動き始めればいい。
私たちの暮らしには、仕事の時間も、楽しむ時間も、自分を整える時間もあります。
そのどれにも名前をつけられない時間が、少しくらい残っていてもよいのだと思います。
余白は、何かのために役立てなくても、余白のままでいい。
次に少しだけ時間が空いたとき、その時間をすぐ何かへ渡さず、自分の手元に残してみてはいかがでしょうか。
参考資料
PLOS ONE「“Give me a break!” A systematic review and meta-analysis on the efficacy of micro-breaks for increasing well-being and performance」 https://doi.org/10.1371/journal.pone.0272460